亡命貴族の子(ってか孫)であるシェーンコップ先生は、幼少の頃から多分、言葉や文化の違いで祖父母が苦労するのを目にして、さらにその彼らが同盟の人間から卑しめられるのを散々見て来たろうし、同時に、新家庭で自分がいちばん同盟語の習得が早くて通訳としてアテにされ、そこからさらに家長みたいな扱いもされて、理不尽な重責みたいな感覚も絶対あったろうなあと思う。あのシェーンコップ先生だと、同盟語をさっさと覚えて帝国クソくらえ!と表明するよりも、むしろ帝国語に固執して、同盟クソくらえと言う態度の方が多かったんじゃなかろうかと言う気がする。6歳で、しかも帝国の空気に耐えられずと言う理由での亡命ではなくて、わけも分からず連れて来られて、なんでこんなところに住まなきゃいけないんだよ、と言う気持ちの方が絶対強かったと思うんだよな。帝国を恋しがると言うよりも、とにかく自分の理不尽な人生に腹を立てると言うか。同盟の人たちに対して、帝国語で煙に巻くとか絶対やったと思うよ。第二言語でのあの言語能力とコミュ能力の高さを考えれば、元々の言語能力が高いと思えるし、逆に、あの大仰な物言いは帝国語からの影響とも考えられるよなあ。どこをどう切り取っても、育ちの良さと言うか、貴族さまと言うのが消えない人だなあと思った(disってないよ)。
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