なぜ高村薫はボトムズなのかと思って、今レディ・ジョーカー読んでるんだけど、あれは特に最後がすごくボトムズなんだけど、アレだ、群集劇だからだ。あちこち場面が飛んで、その場その場でその時の視点がある。合田さんは基本的に狂言回しと言うか、その世界の中で翻弄される役割と言うか。そして主人公だけど、特に目立つと言うように設定はされてなくて、人によっては彼を魅力的で目立つと思うし、ある人は彼を完全モブと言う風に受け取る。キリコに比べると、文章で内面描写があるので、キリコよりは何考えてるか分からないと言うのはないんだけど、モブ的立場で、言っていればその世界の中では蟻みたいな存在なのに、全体を俯瞰させる役目も与えられてたりして。高村薫は長編は多分マークスが初めてだったと思うんだけど、同僚たちがみんな仲悪いのが衝撃だったんだよね。誰も誰にも腹割らない、みたいな。そういうのもすごいボトムズだなあって思う。ああいう風に書けるのは、高村薫が女性で、男性世界と言うのを客観的に見ざるを得ないからだろうなと思う。高村薫の、ものすごい冷静な視線が好きなんだ。
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