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周瑜と孔明だけで物語が完全に終わってたら、私説三国志はここまで自分に深く根を下ろさなかった気がする。周瑜の、情欲のみとも愛だけとも言えない孔明への執着。同じ矢印が同じく孔明の方からも出てるとか。そうしながら、完全に主従の市が頻繁に入れ替わってると見せて来る魏延と孔明の関係よ。この、社会的主従と、精神的主従と、性愛的主従が全然一致しないし、後のふたつはかなり流動的、と言うこの関係性が、自分のSM観に相当影響を及ぼしてるなあと、何か改めて思った。支配してるつもりが支配されてた、そしてその相手は、支配されてる空気出しつつ、そのことで相手を支配すると言う上級者(意識してるかどうかは不明)と言う、関係の中身がかなり流動的で、どっちがどっちと言えない系、大変好み。
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