AT乗りであるバイマンが恐らく利き腕である右手を失うと言うことは、そのままAT乗り廃業ってことになるわけで、でもそれを拒否って、義手にしてまでバイマンはATに乗ること=よったんへの復讐(バイマン本人の、と言うよりは、恐らく大事な人であるムーザのための要素が強い)にこだわったわけで。で、義手は金属で、そのままイコールATのイメージに繋がって、義手のバイマンは人間のままATとの一体化(究極のAT乗り)を果たしてしまったわけで、その手で多分、ムーザの最後を看取ったろうし(推察)、バイマンの最後は、キリコがその手を取って看取ったし。バイマンはその右手を差し出して、「ペールゼンをやるには十分だ」(あくまでAT乗りとして相対してやる、と言う意味合い)と言う。RSのバイマンとしてよったんを殺すのが大事なわけで、ただの個人のバイマンでは果たし合いが無意味になる。バイマンの義手は、RSとしての彼らの象徴であったんだろうし、体を損なってしまっても(そして心も損なわれてしまったと言う意味もある)ATに乗ることにこだわる以外の、すべての生きる意味を奪われてしまっている、RSはそのように冷血で非人間的な組織で、彼らをそのような存在に変えてしまった、だからこそ彼らはあそこまでその元締めであるよったんを憎むしかなく、そして自分たちの命を賭してその存在を消してしまおうとした、と言うようなことが、あのバイマンの義手にこめられてるのかなとか、まあ色々考えた。
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