承太郎が男でも女でも、花京院のことは名字で呼び続けて欲しいなあみたいな。承太郎的に、どれだけ親しくなっても、花京院のことを名字で呼び続けると言うのは、何か承太郎なりのこだわりがあるような気がする。承太郎の状況的に、あのふたりが一緒に暮らすとなると拠点はアメリカだろうから、そうなると多分、非日本人で花京院の名前をきっちり発音できる人は少ないと思うので、そういう状況だからこそ、「自分はきちんとネイティブで発音できる!」みたいな。花京院の方も、承太郎だけが自分の名前をきちんと呼んでくれる、みたいな。そういう、ふたりの間でだけ通じる、大変どうでもいいけどふたりの間では重要なこだわり。
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