TETSUが譲介を捨てた形になったことに対して、一人先生はTETSUに対して怒りを感じてると言うことはない気がするけど、それしかなかったのかって自問はして、そこで憤りを感じ続けてる気はする。もうちょっといいやり方があったんじゃないかって考えて、でも自分でも多分TETSUと同じことをするだろう、そのくらいのショックが、残念ながら、あの時の、TETSUに依存し切ってた譲介には必要だったと言うのは認めざるを得ない的な。正直に、TETSUよりは自分の方が絶対に譲介(だけじゃなくて大体人類みんな)の保護者には向いてると思ったろうし、人間としてTETSUは真っ当じゃないところがあって、その点では絶対に親にはならない方がいい人間だって思ってるだろうし。譲介を捨てたと言う点で一人先生がTETSUに対して怒りを感じてるとすると、それはTETSU個人に対してではなくて、大人が保護すべき子どもを置いて去った、と言う、自分にも起きた同様のことに対してなんじゃと言う気がする。もう消えてしまった自分の父親に対して怒りを見せることはできないけど、ちょくちょく顔を出すTETSUに対しては八つ当たりができる、と言うような。アレは一種の、一人先生のTETSUに対する甘えた態度なのかもしれない。そしてTETSUは、それを一人先生に許すために、譲介を捨てると言うことを選んだ(それが譲介にとって最上だったからと言う判断)と言う部分もあるのかもしれない。譲介は捨てられたと思ってるけど、人間として真っ当な人に預け直すと言う良い環境を与えられて、一人先生は明らかに譲介を通して自分の傷と向き合う機会を得て、また孤独の中に戻って行くことにしたTETSUがいちばん実は傷ついてるんじゃないかなと言う気がした。そしてそういうのがオレにはお似合いだなってうそぶいてそうな、何かそういう。
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