単なる好みの問題なんだけれど、自分はジェシカさんを、ふたりの男に愛されたけどひとりしか選べなくて、ヤンさんが口説いてくれないからラップさんにした、と言うような、まあ実際そういう風に描かれた陳腐な三角関係なのかもなんだけど、ラップさんの死後に反戦へ向かったジェシカさんの気概と言うのは、ラップさんとヤンさんに対する自己嫌悪とか反省とかの反動なのかもしれないんだけど、自分はもうちょっとこう、それだけではなくて、あの3人の関係は何かしらあの世界観を反映するものであると捉えたいと言うか。恋愛状態のジェシカさんを、普通に流された大衆として、その大衆の選んだラップさん(つまりトリューニヒト)、そこへ愛情からか良い思い出からか、ぐずぐずきっぱり関係を断てずに関わり続けるヤンさんと言う、ヤンさんと民主主義の関係を卑小化して見せてるのがあの関係なのかなみたいな、何かそういう。どれだけ愚劣に貶められてしまっていても、出逢った時、愛してると気づいた時の記憶の輝きは(美化も含めて)失せないものだし、その美しい記憶があるからこそ、民主主義を絶対に捨てられないヤンさん、と言うことなのかなと。だからこそ、今彼のシェーンコップ先生が、その美しい記憶とやらを捨てて独裁者になれ、と執拗に言うのも理解できたりして。ようするに過去の恋とか忘れて今の自分を見て、愛して下さいってことか。そうか。と言う風に自分は納得した、と言う話。
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