ごくごく個人的な感想なんだけど、死ぬ時に、誰かが自分の目を見つめてくれてて、声を掛けてくれて、さらに手を握ってくれるとか、すごい幸せかもしれないと思った。バイマンだけじゃないけど、キリコに看取られた人たちは、みんなひとりで死なずに済んで、実際に最後の瞬間は幸せだったんじゃないかと思う。キリコも同時に、そうやっていつも誰かを送ることになる自分に、時々嫌気が差すこともある気がするんだけど、それでも、「そうできる自分」を割りと素直に肯定できる瞬間もあるんじゃないかなと思った。それが自分の存在意義、みたいな。そうしょっちゅう人の死を看取りたいと思うもんでもないと思うけど、でも少なくとも、自分が目の前のその人の死への恐怖とか孤独とかを、少しでも和らげられたかもしれない、と思うことは、自己肯定にきちんと結びつくもんじゃないかなと、そう思った。もちろん、目の前で(親しい/大事な)人が死ぬのは、どれだけあっても馴れるもんじゃないだろうから、そのたびキリコは確実に傷つきもすれば、自分の内側を少しずつ削り取られて行きもするんだろうけど。それでもキリコは、目の前の死に掛けた誰かの手を取って、目を見て、「おまえはひとりじゃない」って伝えようとし続けるんだろうな、と思った。
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