原作ありの作品が映像化された時に、制作側が「オレの××(キャラ名)」って思うことは割りとあることなのかもなあ。平成の009は、絶対「オレ/わたしのハインリヒ」って思ってた人が山ほどいそうだし、ボトムズはもう言うまでもない。キリコ=高橋監督ってもうあからさまなので、それってつまり(ry でもキリコ→フィアナの線である、高橋監督→塩山氏の線は崩れず、ここに、ふたりともを大好きで、高橋監督には激惚れの吉川御大が、その情熱をうっかりダダ漏れにしてよったんなんてキャラを番外編で出しておいて、本編キャラ以上に強烈推ししちゃうし。大河原氏が、高橋監督であるキリコに、AT(のデザイン)を必要な時に即必ず提供してくれるゴウトってすごい!その通りだ! ボトムズって、いい意味で、制作陣の人間関係とか仕事仲間としての信頼関係がそのまま投影されてると思うの。シャッコがおれのキリコ、キリコがおれのシャッコって言いつつ、同時に、「シャッコのおれ」「キリコのおれ」と言うのも大変萌えなのです爆発! 私のキリコ、おれのヨランはもうガチで!ガチで!! そういうわけで、今のジョジョアニメも、絶対制作陣にマニアがいて、「DIOは俺のもの」「ジョナサンはおれの嫁」「承太郎と花京院はまとめて(ry」「シーザーは誰にも渡さん」「ジョセフgetォォォォォ」ってやってると思う。絶対間違いない。
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