大正時代の社会主義者、アナーキストについての小説を再読中、大逆事件の件で、新村忠雄について荒畑寒村が、「きりっとしたところがない男でちっとも冴えないが、大逆事件の時の裁判では実に立派で筋道が通っていた」、と言うのが査問会のヤンさんに思えて、この辺と直接関わりつつも運動家としては完全に裏方だった村木源次郎は、大逆事件での検挙逮捕死刑を辛うじて逃れたと言う自責の念が常にあったのではないか風に描写されてて、さらに当時としては水も滴る美形的な人だったみたいに書いてあって、おや・・・?みたいな。当然ながら、この辺は後の軍事もの戦争もの政治もの社会運動的な作品が影響を受けてないわけはないので、現実で起こったことと思うとフィクションと重ねて茶化していいわけはないんだけど、何かちょっとドキドキしながら再読中。まったく無関係な話だけど、大正時代になって同性愛者は当然いたろうし、主義者の中にも山ほどいたんだろうなあと思うなど。この辺は女性同性愛と言うか、今風に言えば百合な関係は新しい女の間ではごく当然みたいな空気もあったわけで。そして永遠に、多分こいつは辻潤にキリコを感じ続ける。辻潤はシャッコに出会えなかったキリコ・・・。
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