今日、相手をどんな愛称で呼ぶかって興味あるなあって考えてて、ラインハルトさまがキルヒアイスに、両親から与えられた名前を捨てさせたんだよなあって考えながら、そのキルヒアイスを、アンネローゼさまは、ほとんど頑なな感じでジークって呼ぶんだよなあと。そのアンネローゼさまは、本来の名字を捨てさせられて(これはラインハルトさまもだけど、ラインハルトさまは自分から捨てたくてしょうがなかったと言う流れなので、ちょっと方向が違う)、まったく別の名前を与えられて、その上自分のアンネローゼと言う名前には、響きの中に皇帝の寵姫と言うものが含まれてしまってる(侮蔑と様々の差別の響き)。そのアンネローゼさまが、キルヒアイスのことをジークって呼び続けるんだよなあ。親しい間柄なわけで、アンネローゼさまがキルヒアイスをジークて呼ぶのはまったくおかしくはないんだけど、ラインハルトさまがキルヒアイスをキルヒアイスって呼び続けるのと対照的にと言う。ジーク呼びは、ラインハルトさまに対する、姉としての、「自らも名を捨て、親友にも名を捨てさせた弟に対するひそかな警告」でもあったのかなあ、みたいな。アンネローゼさまのジーク呼びの声の響きが、何しろ何か特別と言うか、姉でありとても親しい友人であり、恐らく恋人である人しか出さない声と言うか。ラインハルトさまがキルヒアイスをキルヒアイスと呼ぶのと同じくらい、アンネローゼさまがキルヒアイスをジークと呼ぶのには、双方実はまったく同じベクトルの、でも表現方法は真逆(この姉弟の立場の違いゆえに)と言う、業の深いふたりなんだなあって思った。でもその業の深さは、キルヒアイスなしではそこまで深くはならなかったものなんだよなあ。アンネローゼさまは、ラインハルトさまに、彼が何をし、何を為し、そのために何を得て、何を失ったのか、キルヒアイスと言う人を通して、そのキルヒアイスをジークと呼び続けることで、ラインハルトさまに念押ししてるのかなと思った。
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